「猫は犬と違って手がかからない」——そんなイメージを持っている人は少なくないだろう。確かに散歩の必要がなく、トイレも覚えが早い猫は、初めてペットを飼う人にとって敷居が低い存在に見える。しかし、東京都世田谷区で「さくら動物クリニック」を開業して25年になる獣医師・藤井康介さん(57)は「猫は手がかからないのではなく、不調を隠すのが上手なだけ。だからこそ飼い主の観察力が問われる」と指摘する。
日本では現在約906万匹の猫が飼育されており、犬(684万匹)を大きく上回る。一方で、日本獣医師会の調査によると、定期的な健康診断を受けている猫は飼い猫全体の34%にとどまり、犬の62%と比べて著しく低い。藤井さんは「猫を病院に連れて行くのが大変だという飼い主さんの気持ちはわかる。でも、早期発見が猫の命を救うケースは本当に多い」と話す。
食事——「置き餌」がもたらすリスク
藤井さんがまず改善を勧めるのが食事の管理だ。猫はもともと少量を何回にも分けて食べる動物だが、それを理由にフードを出しっぱなしにする「置き餌」スタイルの飼い主が多い。藤井さんの診療経験では、来院する肥満猫の約7割が置き餌方式で食事を与えられていたという。
「置き餌は猫の食事量を飼い主が把握できなくなる。とくに多頭飼いの場合、どの猫がどれだけ食べたかわからない。1日2〜3回、決まった時間に適量を与えて、20分程度で食べ残しは片づける。これだけで肥満リスクは大幅に下がる」と藤井さんは説明する。体重4キロの成猫の場合、1日に必要なカロリーはおよそ200〜260kcal。ドライフードであれば50〜65g程度が目安だ。
遊び——1日15分が猫の心と体を変える
「猫は勝手に遊ぶから」と放置してしまう飼い主も多いが、藤井さんはこれを「最もよくある誤解のひとつ」と指摘する。野生の猫は1日に10〜20回、短い狩りを繰り返す。室内飼いの猫はこの狩猟本能を満たす機会がないため、飼い主が意識的に遊びの時間を作る必要がある。
藤井さんが推奨するのは、朝と夜の2回、各10〜15分の「インタラクティブ・プレイ」だ。猫じゃらしや釣り竿型のおもちゃを使い、獲物の動きを再現するように動かす。ポイントは「猫に捕まえさせること」。追いかけるだけで一度も捕まえられないと、猫はフラストレーションを溜めてしまう。
「遊びは猫にとって『狩り』の代替行為です。追いかける、飛びかかる、捕まえる、噛む、食べるという一連の狩猟サイクルを再現してあげる。遊びの後にフードを与えると、猫は『狩りをして獲物を食べた』と感じて深い満足感を得られます」 —— さくら動物クリニック 院長 藤井康介
見落としがちな病気のサイン
猫は体調が悪くても痛みや不調を隠す傾向が強い。これは野生時代に弱みを見せると捕食者に狙われるという本能の名残だ。そのため、飼い主が異変に気づいた時にはかなり病気が進行していることが珍しくないと藤井さんは警告する。
特に注意すべきサインとして、藤井さんは以下の5つを挙げた。(1)水を飲む量が明らかに増えた(腎臓病の初期症状)、(2)トイレの回数や排泄量の変化(泌尿器疾患)、(3)毛づくろいの頻度が減った、または過剰になった(皮膚病やストレス)、(4)いつもの場所で寝なくなった(痛みがある可能性)、(5)食事のスピードが落ちた(口内炎や歯周病)。いずれも日常の小さな変化で、意識していないと見落としやすい。
「とくに多いのが慢性腎臓病。10歳以上の猫の3〜4割がかかると言われていますが、初期症状は水を飲む量が少し増える程度。飼い主さんが気づくのは食欲が落ちたり嘔吐が増えたりしてからで、その時にはもうステージ3、4ということも多い」と藤井さん。年1回、7歳を過ぎたら半年に1回の血液検査を強く勧めている。
完全室内飼いのすすめ
環境省は猫の「完全室内飼い」を推奨しているが、実態としてはまだ外に出す飼い主も少なくない。ペットフード協会の調査では、完全室内飼いの割合は2025年時点で81%。年々上昇しているが、残りの約170万匹は少なくとも部分的に外に出ている計算だ。
藤井さんは完全室内飼いを強く推奨する立場だ。「外に出る猫は交通事故、感染症、他の猫とのケンカによる怪我のリスクが格段に高い。統計では、外に出る猫の平均寿命は室内飼いの猫より5〜7年短い。猫のためを思うなら、室内で十分な刺激を与えてあげることが最善策です」。窓辺にキャットタワーを置いて外を眺められるようにする、段差のある家具を配置して上下運動を促す、窓越しに鳥の声が聞こえる環境を作るなど、室内でも猫の好奇心を満たす工夫はいくらでもあるという。
多頭飼いで気をつけるべきこと
猫ブームの影響もあり、2匹以上の猫を飼う「多頭飼い」世帯も増えている。ペットフード協会の調べでは、猫飼育世帯の38%が2匹以上を飼っており、3匹以上の世帯も14%にのぼる。しかし藤井さんは「猫は本来、単独行動の動物。『寂しいだろうから』という理由だけで2匹目を迎えるのは危険」と注意を促す。
多頭飼いで最も重要なのは「トイレの数」だと藤井さんは断言する。基本は「猫の数+1」。2匹飼うなら3つ、3匹なら4つのトイレを用意すべきだという。「トイレが足りないと、猫はストレスからトイレ以外の場所で排泄するようになる。これが最も多い多頭飼いのトラブルです」。また、食事の場所を猫ごとに分ける、それぞれが1匹で落ち着ける隠れ場所を確保することも大切だ。
藤井さんは最後に「猫は20年生きる時代。最後まで責任を持って、愛情を注いでほしい。そして困ったことがあれば、遠慮なく獣医師に相談してください。それが猫にとっても飼い主さんにとっても、幸せな暮らしにつながる」と締めくくった。
猫の定期健康診断チェックリスト
1歳〜6歳:年1回の健康診断(身体検査、体重測定、尿検査)/7歳〜10歳:半年に1回の健康診断(上記に加え血液検査)/11歳以上:半年に1回(上記に加え甲状腺ホルモン検査、血圧測定、レントゲン検査)。費用は3,000〜15,000円程度(検査内容により異なる)。
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